2009/09/24
田町駅から品川駅まで、神社仏閣なんかをいろいろ見ながら散歩する企画に参加してきました。
かなり回ったのですが、全部いっぺんに書くと内容がごちゃごちゃしすぎるので順番にご紹介。
今回は泉岳寺(せんがくじ)。
泉岳寺は都営浅草線、京急線の駅もあるので、名前は聞いたことのある人も多いはず。
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中門はこれなんですが、これじゃまるで学校の入り口専用…
地図を拡大しても分かりますが、実際に参道にあるおみやげ屋さんの脇から学校への道があります。
でも、中門を見上げるとちゃんと萬松山の山号が。
そして、中門を通っておみやげ屋さんの前も通り過ぎ、学校への道も通り過ぎると、泉岳寺と書いた山門に着きます。
ここの先に本堂があるのですが、右脇には銅像が建っています。
これはお寺を建てた人とかいう話しではなく、大石内藏助良雄の像。忠臣蔵で有名な昼行灯の大石内藏助です。
この泉岳寺は、大石がもともと仕えていた浅野内匠頭長矩が切腹後葬られた場所であり、赤穂浪士四十七士が吉良上野介義央の首を持ち帰った場所であり、四十七士が切腹後ほぼ全員葬られた場所でもあります。(一部は遺族が持ち帰ったりで別の場所に葬られています。でも、墓は全員分あります。)
なお、本堂はこんな感じで、
四十七士の墓はここから左後ろのほうにあります。
実は忠臣蔵とかそこまで興味がなかったので、ここがそんな場所だということは行くまで知らなかったわけですが…。
お墓の写真などは、勝手に撮らないように注意書きがあったので撮っていません。まあそもそもお墓なんてあんまりばしばし撮るものでもないですし。
入り口で線香を一束100円で売っているので、それを買えば一人一人の墓を回って線香を供えることもできます。週末とはいえ、意外に参拝に来ている人は多くて驚きました(まさかみんな子孫というわけでもないだろうし…)。
お墓の脇には赤穂義士記念館というのがあって、四十七士にまつわる遺品などが展示してあるようです。興味のある人にはいいかも。(余談ながら、これらの遺品は討ち入り当時の住職によって一度売り飛ばされたことがあるようです。世間の反感を買ってあわてて回収したようですが、その一部なんでしょうか…)
そして、次は東禅寺(とうぜんじ)。
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