血天井 ~宝泉院~

2009/05/27

「血天井」
おどろおどろしい名前ですが、実際におどろおどろしいモノです。
ただ、それがあるのは大原は宝泉院というところ。庭がとてもきれいと勧められたので行ってみました。

大原というと、日本史で大原女(おはらめ)ってのが出てきました。
大原から炭や薪を売りに来ていた人のことなんですが、京都から大原までバスで約1時間かかります。ここを薪持ってえっちらおっちら移動していたって、相当時間かかったんじゃないだろうか…。

そして、宝泉院(三千院のさらに奥)へ向かっててくてく坂を登っていたところ、大原女がいました。
大原女

見た瞬間吹き出したわ。

さて、着くなりそんなギャグにやられつつ、三千院の前を素通りして一番奥の宝泉院へ。
正面に見える勝林院(大原寺)本堂
本院
ここの僧坊が宝泉院。
僧坊ってのは要するに宿舎なわけですが、そこに住む主のことを坊主と言うようになったんだそうです。

入り口
入り口も緑がきれいです。

門
すでに絵になる門。

五葉の松
五葉(ごよう)の松という、樹齢推定700年の木。これを院から見るとすばらしいのです。

室内からの松1
院内から見た五葉の松。天井や柱で額縁のように切り取られ、風景がそのまま絵になります。

室内からの松2
もうちょっと離れたところから。
部屋の中の好きなところに好きなだけいられるので、きれいに見えるところを探して動き回るなり、気に入ったところでぼーっとするなり自由です。ついでに、お抹茶も出してくれます。

松の影
縁側まで出てみると、血管のように走り回る影が。

角を見る
部屋は角にあるため、いろんな方角が見られます。最初は人がいなくなる瞬間を狙って写真を撮っていたのですが、ちょっとくらいいたほうが絵になるかも。

竹林
こっちは竹林側。竹の向こうに山が見えて、借景になっています。

水琴窟
縁側の端には水琴窟があります。

水琴窟の説明
理智不二(りちふに)という名前だそうです。竹筒に耳を近づけて音を楽しむのですが、2本ともとても心地よい音がします。

鶴亀庭園
これは中庭みたいになっている鶴亀庭園。もらったパンフレットに、部屋の格子越しに楽しむ、と書いてあったのでその通りの視点で見てみました。

中庭の水
中庭にあった水場。何かすごく絵になる。

血天井
そしてこれが血天井。
慶長五年(1600年)に、伏見城を守っていた徳川家臣・鳥居元忠以下370名が、石田三成に攻められ最後に自刃。その後死体はしばらく放置されていたため、倒れた人間の痕が床板にすっかりしみこんでしまいました。
で、この時の無念を供養するため、床板を外していくつかの寺の天井として使われました(天井にしたのは、床板にしてみんなで踏んで回ったら供養にならないから)。
この写真だとあんまり分からないかもしれませんが、今でも顔の痕などがしっかり残っています。

その解説もちゃんとあります。
血天井解説
がんばって書き出してみた。

『血天井』のいわれ
書院廊下の天井は伏見城の落城の時の遺物で慶長五年九月八日、徳川家康の忠臣鳥井元忠の一党(三百七十人)が石田三成の軍と交戦し武運拙なく伏見城で自刃したときの板の間を天井にしてその霊を弔ったもので血天井と称している。
この宝泉院の血天井は慶長五年(一六〇〇年)七月関ヶ原の戦の寸前伏見城を孤守した鳥井彦右衛門元忠一党らのものと伝えられる。鳥井元忠は(一五三九~一六〇〇年)天文二十年(一五五一年)十三才で徳川家の近侍となってから常にその戦陣に従っていた。姉川の役、三方原合戦、武田勝頼の浜松城攻めに、それぞれ戦があり諏訪原城攻めの時、左股に貫通銃創を受け跛(びっこ)となった。天正十四年家康に従って入京の折に豊臣秀吉から叙爵のすすめがあったが、元忠は三河譜代の者なれば二重に忠を尽すべき道をわきまえずとして、これを辞した。同八年に小田原陣でも功あり家康の関東入国で下総国矢作四万石の城主となった。慶長五年家康が上杉征伐の向うに当り元忠を止めて伏見城を守らんことを言い渡し、再会すべからずと水盃を交して訣別した。元忠は千八百余人の寡兵をもって伏見城を守り宇喜多、島津以下の西軍九万余を悩まし防戦よく努めたが、包囲二旬をへて八月一日落城に、自害自刃した。時に鳥井元忠六十二才といわれる。
血天井の血痕は市田博士によって京都西加茂、正伝寺に伝わる元忠一党らの血天井から血液反応を調べた所、当時代のものであることを証明されている。
武将その有様が天井の板真上に血痕の顔、足、烏帽子(えぼし)等がくっきりと出ています
一九八五年五月三十一日
京都西本願寺に於て、妻と共に法名を受け、宝泉院に参拝の折りに、住職藤井宏全氏との元に…(読めない)…拝書させていただく。 合掌
解説、宝泉院住職 藤井宏全
謹? 毛利壽海 法名?忍

最後の方は写真もちょっと不鮮明に写っている上に字が小さいので読めないです。
ただ、毛利壽海ってのは書家のようですね。

コメント

いつ行ったん?

2009/05/27 nagy

>>nagyちゃん
nagyちゃんと会った次の日ですよ。大原にいますって連絡をしたときは、ここにいました。
もちろんちょっと二日酔いでしたが…。

2009/05/28 妖

すごい綺麗ですねーすばらしい^^

しかし映ってるのは誰?

2009/05/28 JJ

>>JJさん
最初の写真は名もない大原女さんですw

そのとき宝泉院に居合わせたその他の方々が写っているだけですよ。観光地なだけあって、誰もいない瞬間を狙うのが大変でした。
ちなみに血天井の写真を良く見ると人がいっぱい映っていますが、これはどっかの修学旅行の集団。一気にぎゅうぎゅうになってしまいましたが、その代わり住職による解説が一緒に聞けました。

2009/05/29 妖

(宝泉院を勧めた張本人なので、足跡を残しに来ました。)

ここは、何度、行ってもいい場所です。
次は、別の季節に行くといいですよ。
一番のお勧めは『雪』の季節なんだけれど、なかなかタイミングが合わないから、難しいかなぁ?

2009/12/23 ino

>>inoさん
いいところを勧めていただいてありがとうございました。

京都に住んでいれば雪を狙って行けますが、なかなか東京からだと難しいですねえ。冬の週末で天気予報とにらめっこしながら狙うしかないかな?

2009/12/23 妖


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